2019年1月4日金曜日

天皇と儒教思想 / 小島毅 (2018)

伝統はいかに創られたのか?

  • 古来中国では王の田植えと妃の養蚕の儀式が行われたことがあるが、日本においては田植えは昭和天皇が、養蚕は殖産興業のために明治期から行われたに過ぎない。
  • 神武天皇陵は、神武復古を唱えた明治政府が立派に整備したものである。ちなみに古墳は中世以降一顧だにされず、田畑として使われていた。そもそもある時期から明治になるまで天皇家は仏教徒であったため、火葬であり土葬である墳墓は造られなくなった。
  • 天皇が祖先を祭る皇霊祭というのは、仏教の彼岸の神道版として明治期につくられたものである。
等々、我々が日本の伝統として捉えてきたものが、明治以降の政権の思惑により、「つくり出されてきた」ものであることを数多く説明しています。
元号にしても一世一元になったのは明治天皇からです。
これが儒教思想という「思想」とは思いませんが、古代中国のの儀式、典礼あるいは朱子学などの儒教の教えから色濃く影響を受けていることが分かります。
そう思うと、日本の文化というのは、大和言葉に代表される日本古来の文化に、中国を手本とする各種の仕組みが混じり、さらに仏教思想が入り込んだ、結構グローバルな文化だと思えてきます。明治以降に西欧の文化を取り入れ過ぎたことに心情的には反対の気分ですが、古来からの文化交流を考えると当然なのかもしれないなと思いました。

第一章 お田植えとご養蚕
第二章 山稜
第三章 祭祀
第四章 皇統
第五章 暦
第六章 元号

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