2020年6月20日土曜日

信長公記―戦国覇者の一級史料 / 和田裕弘 (2018)

戦国時代の武将などというものは、今で言うヤクザの親分のようなものだと思っています。結局、実力行使で、力の強い者が生き残る。
そこに善政なるものはなくても、戦に勝てばいいだけの世界。
農民たちは田畑を荒らされ、戦が始まれば巻き込まれるしかない、それでも嫌とはいえない。
信長は、生まれてから死ぬまで戦に明け暮れた人生と言ってもいいと思います。
天下を平定して戦のない世の中にしよう、などという考えはほとんどなかったと想像します。

それでもめっぼう強かった。
戦の天才だったんでしょう。
軍師が側にいたわけではなく、時には自分が自ら馬を進めて戦局を切り開き、的確に下知し、調略も行う。
大国の駿河と美濃に挟まれ、しかも尾張でも絶対的な地位があったわけではない織田弾正忠家だったからこそ、類まれな戦略眼が身についたのかもしれません。

時を見るに敏く、電光石火の如く動くのは、苛烈な性格を想起させます。
独裁者のイメージがありますが、将軍、天皇、寺社といった中世的なモラルや常識は持ち合わせ、後継の信忠への権力の譲位も周到に行っています。戦一辺倒の単純な人物ではなかったと思います。
部下には厳しいが、人とは信頼で結ばれている、一方で裏切られるととことん攻める。浅井長政の裏切りに対しては、延暦寺も巻き込んで、徹底的に潰してしまいました。信頼の裏返しが強烈なんですね。このあたりは全く任侠ヤクザと同じです。

信長公記は、一級の歴史資料ですが、信長がどんな考えを持っていて、どんな感情で動いていたのかは分からないのが残念です。あくまで、外観だけです。
本能寺の変の時に、敵が光秀だと知らされて発した言葉「是非に及ばず」だって、どんな思いで言ったのかは想像するしかありません。

戦に明け暮れた人生の終わりも戦だったのは本望だったのかもしれません。部下の謀反というのも下克上の世を生きた信長の最後にふさわしいとさえ思います。
絶頂の時に、今までの人生を振り返る時間もなく自決を決断できたのは、戦国武将らしく常に死を覚悟していたからでしょう。潔く、はかないですね。