2016年10月20日木曜日

China 2049 / マイケル・ピルズベリー (2015)

The Hundred-Year Marathon by Michael Pillsbury

アメリカの中国通である著者が、痛烈に中国を批判しています。
著者は過去'60年代から'80年代にかけて、アメリカと中国の懸け橋になり、この時代にアメリカと中国は急速に接近していったようです。
ところが、天安門事件を機に一気に関係が冷え込み、それとともに著者は中国についての見方を変えていったようです。
あれだけ信頼していたのになんだ!ということなんですかね。

著者によれば、天安門事件から中国が変わったのではなく、毛沢東の時代からいつかは世界一になろうと、使える国は使うという姿勢だということです。(少し恨みが過ぎて、ちょっと言い過ぎのように思います。)
昔の春秋戦国時代の、人の裏をかいて、うまくだまして相手をやっつける、というのが中国人の頭に刷り込まれており、それと同じことを現代にもやっている、ということを主張しています。赤壁の戦のようなだましだまされ、の世界観ですね。100年計画で世界の覇者になろうとしている、のだと。政治的にも、経済的にも、軍事的にも。

そして、予想以上にアメリカの力が低下してきているので、中国が覇権をとるのはより近づいている、と予想しています。
しかも中国が覇権国になると、現在の中国がやっていることが押しつけられ、今とは全く違う非常に住みにくい世界になる、と。

著者に言わせると、中国の指導者は偏狭な情報で世界を見、他国を信じない世界観で世界を見ているそうです。アメリカによる中国大使館の誤爆のときに、江沢民を中心とした中国の指導者たちは、アメリカによる意図的な爆撃だと断じて、ほぼアメリカと断絶状態になります。衝撃ですね。もっと多くの事実を集めて、平たく議論してほしいですね。

仮に著者の言う通りだとしても、果たしてあの時の鄧小平の決断は正しかったのか?という疑問はずっとあります。
著者は言います。「胡耀邦や趙紫陽ではなく、鄧小平や江沢民を信じたのは間違いだった」と。そのとおり。鄧小平は胡耀邦を切り、趙紫陽を切り、後を保守派(筆者に言わせればタカ派)に委ねてしまった。そう決断してなかったら、中国はまた違った道を歩んでいたのではないかと思います。(著者はそうではないと言いそうですが)
僕は鄧小平は、本物のマルキストではなかったのではないかと思っています。もしかしたら毛沢東も。西洋諸国からの尊厳を守るための一番の近道が共産党だったんではないでしょうか。しかし、彼ら第一世代が死んで、次以降の世代は体制の存続が主体となりますよね。維新のときの徳川家しかり、第2次大戦のときの天皇制しかり。
一方で、この勢いのある中国を排除することはできません。少なくとも経済的にはうまく利用する側に回らないといけないと思います。


2016年10月8日土曜日

人工知能 人類最悪にして最後の発明 / ジェイムズ・バラット (2013)

Our Final Invention by James Barrat

僕らが行き着く未来は、「アトム」ではなく「ターミネーター」だった。
本のスリーブにそう書いてある通りの内容です。

AI(Artificial Interigence)=人工知能 が進化して、AGI(Artificial General Inteligence)=汎用人口知能 となり、それがさらに自己成長して ASI(Artificial Super Inteligence)=超人工知能になると言います。
それが、人類にとってどういう影響を与えるかわからない、つまり人類に良いことばかりではない、というのが筆者の主張です。
確かに、機械が遂行するアルゴリズムが、人にとっていいもの、というのは幻想です。
本書の中にもありますが、潜水艦は泳げない、ということです。生物とは違うやり方で潜航するという行為を行います。先日の碁の対戦をしたAIも、人間なら取らないような手を打つようです。
こういった機械が人類よりも高い知能を持つようになったとき、人類は破滅に向かうに違いない、と断言しています。

まさにターミネーターの世界です。映画ターミネーターでは、スカイネットという人工知能が、人類との間で戦争をしています。ネットと名がつくようにおそらくネットワークの中で増殖していったのでしょう。
あるいは、スタンドアローンであれば、2001年宇宙の旅です。HAL9000は、自分を疑った乗組員を船外に放り出します。

電気エネルギーの中でしか生きていけない人工知能が、人類を脅かす存在になる、というのは少し荒唐無稽のようにも思いますが、筆者は何人もの科学者や実務家にインタビューすることで、自説を補強しています。

たった一つの主張のために論証を繰り返し、400ページ近い本を書くのは並大抵ではないと思います。少し冗長です。