2018年9月19日水曜日

江副浩正 / 馬場マコト,土屋 洋 (2017)

大学の同級生がリクルートに入社したのは1989年。その前年にリクルート事件があったばかりで、さぞ不安だったろうと思いますが、入社研修後の彼から聞いたのは、みんな「エゾリンって呼んでる」ということでした。バカ明るい会社だなあ、と思ったのを思い出します。

その後、何かの本で「自ら機会を創り出し 機会によって自らを変えよ」という江副氏が作った言葉を知り、非常に感銘を受けました。江副氏はこの言葉を社員全員の机の上に置くようにしたと言います。この本を読むと、この言葉は単なる掛け声だけでなく、江副氏の生き様そのもののようです。会社を興し大声で顧客のフロアで感謝を述べ、社員とのキャンプファイヤーでさだまさしを歌い、お世話になった人に贈り物をし、人の輪を広げて新しい事業に挑戦する。おそらく彼はまさしく自分でチャンスを作り、自分で自分を変えていったのだろうと思います。

江副氏の最大の功績は、リクルートという会社、企業文化を作ったことではないかと思います。リクルートは僕にとってはいつもあこがれの会社であり、若さあふれるバイタリティの会社でした。HRシステムを手掛けているときは、手ごわい絶対的なライバルでもありました。
常に高い目標に挑み、みんなで助け合い、若さを保ち、フランクであり公平、自由。彼の(自分で作っていった)個性にもよるし、彼の信条にもよるところが大きかったのだろうと思います。
この本では、実はそういった組織開発や組織を作る策については多くは語られていません。人間の輪郭を描き、もちろん内面までは踏み込んでいません。何せ本人ではないのですから。

目立たない学生だった江副氏が、東大新聞の広告営業として自分の才能に目覚め、おそらくそれが嬉しくて、ビジネスの道に邁進していったことは想像に難くありません。おそらく、自分がやっているビジネスの意味合いは後づけで、ビジネスをやる→うまくいく、というサイクルに快感を見出していたのではないかと思います。したがって、「誰もやらないことをやる」という哲学のもと、とりとめのない世界にビジネスを広げて行くことになったのではないでしょうか。住宅、回線リセール、不動産...。バブル期の高揚した社会の中で、バブルの波に乗った、典型的なバブル会社の動きをし、足元をすくわれてしまいました。
事業家としては、先を読む力があったとも言えますし、時代に踊らされたとも言えます。
リクルート事件が彼が今の僕より若い51歳の時だったというのは驚きでした。

リクルートイズムと言われる唯一無二ともいえる企業文化、これこそが江副氏の後世に残る作品だと思います。

https://docs.google.com/document/d/1fvTMM1BCKrzADIrfgTOcoJndUfB_A7-KR8CxRVKBM3Y/

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