2016年5月23日月曜日

ドラゴンは踊れない / アール・ラヴレイス

Dragon Can't Dance / Earl Lovelace
この小説の舞台は1964~71年くらいなので、そういった古き良き時代を懐かしんでいる話かと思って読んでましたが、'79年の出版なので、ほとんどリアルタイムでトリニダードの状況を映しているんですね。後で気づきました。

路上」や「墓に唾をかけろ」のような、あるいはSpike Leeの映画のような、読後感は"Heart beat"のような、でも全く違いますね。

年の1度のカーニバルのマスカレードでドラゴンを演じる仕事をしない"オルドリック"、スチールバンドの暴れ者のチンピラ"フィッシュアイ"、ヤードのよそ者インド人の"パリアグ"、カリプソの歌い手"フィロ"、それぞれの登場人物がそれぞれの人生を語って行く方法で進行します。それぞれの人生を縦糸に、トリニダードの歴史的背景、奴隷制度、カーニバルの意義、スチール(パン)バンドの商業化、ヤードの17歳"シルビア"との恋、そういったものを横糸に物語が進んでいきます。
小説の中盤のカーニバルを境に、大きくそれぞれの人生が動き、それぞれが何かを見つけていきます。

トリニダードのことは何も知りませんでしたが、いろいろ教えられました。
それにしても現地のスラングを交えた、独特の語り口のようですから、訳は大変だったんじゃないかと思います。

2016年5月12日木曜日

1500万人の働き手が消える2040年問題 / 野口悠紀雄

労働職人口が減少することへの、企業の対処を期待していたのですが、そういうことではなく、国レベルの対処について書かれてあります。これはこれで示唆に富む内容です。

数年前に製造業の就業者が1千万人を切ったというニュースがありましたが、それの1.5倍の人口減の社会が来ることを前提に、いろいろな施策を打っていかなければ、この国は立ち行かなくなってしまうようです。

企業にとっては、「生産の海外移転」、「移民受け入れを推進」、さらに「製造業ではなくIT・金融を含む高度サービス業への転換が必要」との提言は、大きな意味を持ちます。単純な製造ではなく、センサー、ソフトウエアを組み合わせ、ファブレスの脱製造業化が方向なのかもしれません。

また、高齢社会でも年金財政を破綻させないためには、より生産性の高い産業を伸ばし、賃金を物価以上に上げないといけないようです。特に利益率の低い製造業には耳の痛い意見でしょうが、本質です。

それにしても、高齢化率、介護保険、年金財政の問題は2030年代に一番の危機が来るそうです。2030年というと僕が65才の年です。人ごとじゃないんですよね。

野口悠紀雄 2040年「超高齢化日本」への提言

2016年5月5日木曜日

流星ワゴン / 重松清

久しぶりに小説を読みました。
涙なくしては読めませんでした。
父親と息子の関係というのは、やはり気持ちが入ってしまいます。

この小説にあるように、親になると子どもの歳に自分が戻り、そのときの親がどう考えていたのかをよく考えるようになります。練習のない一回しかない人生で、自分と子どもとの関係を探るにあたって、親と自分の関係の記憶があることは貴重です。でも、僕は親と違い、子どもも僕と違うんですよね。そう単純じゃありません。

人生は思わぬところがターニングポイントとなって未来が変わっていく、後から考えるとそんなもんだろうなと思います。普通は主人公のように、それがターニングポイントだと後になっても気づかないんでしょうね。
過去に戻って現在と行き来する話ですが、残念ながらバックトゥーザフューチャーのように、現実は変えられません。
後戻りできない現実を、後悔しながら、勝ったり負けたりしながら、そのときそのときを真剣に生きていくのが人生なんでしょう。

悪人が出てこず、なんとなく希望で終わる読後感は、爽やかです。

2016年5月3日火曜日

10.8 巨人vs.中日 史上最高の決戦 / 鷲田康

確かこのとき僕はキャンプに行っていたと思います。山の中は結構寒く、こんな時期にキャンプに来たのを後悔しました。
ペナントレース終盤で2位のカープの優勝がなくなった時点で、プロ野球に興味を失っていたので、ジャイアンツが優勝したとラジオで聞いても、ああそうか、程度だったと思います。

この本を読もうと思ったのは、テレビ番組でこの試合を取り上げているのを見たからです。
そこには、最高の舞台を楽しんでいる長嶋監督と、最高の舞台で使ってくれたことを意気に感じて活躍している桑田投手の姿がありました。長嶋には人間的魅力を感じているものの、監督としては評価していなかったのですが、少し見方が変わりました。

この本でも、槇原、落合、桑田らと人間的信頼関係を結び、試合前に自ら選手たちを鼓舞する長嶋の姿があります。監督辞任の危機感を選手たちが共有し、監督を中心に戦う戦闘集団になっていった経過が、多くの証言をもとに構成されています。

ハイライトはやはり桑田とのやりとりです。試合前日に「痺れるところで使うからな」と伝え、7回から桑田を投入します。見事3回を抑えた桑田は、胴上げが終わってレフトスタンド側に走る長嶋を捕まえ、指を1本立てて「(日本シリーズで)もう1回やりますよ、もう1回」と興奮気味に言います。
指揮官は、最高の舞台を用意してそれを自ら楽しみ、主役である選手たちに最高の活躍を期待し、選手たちはその期待に応える。そんな経験ができたらいいだろうな、と思います。

(中日サイドの証言も多くありますが、いつも通りの野球をやろうとした高木監督と、特別の試合を演出した長嶋監督の対比に使われているように思います。ここに書かれてあるのは結果論なので、本としては「江夏の21球」のようにもう少しジャーナリスティックな部分もあってもいのではないかとも思いました。)

2016年5月2日月曜日

知識創造企業 / 野中郁次郎,竹内弘高

1994年に出されたこの本は、日本企業のケースをベースに、知識創造という視点で企業活動のあり方を論じています。

有名な、暗黙知と形式知の知識変換の4つのモード、すなわち「共同化」「表出化」「連結化」「内面化」のサイクルが、松下電器、キヤノン、花王、シャープ、日産、キャタピラ三菱などの実例を用いて紹介されています。
また、組織的に知識創造=イノベーションが起こる条件として、「意図」「自律性」「揺らぎとカオス」「冗長性」「最小有効多様性」をあげています。
一見ムダと思える二重性や混沌とした状況を、いかに作り出せるかどうかにかかっている、というところに興味をひかれました。

一方で、この本で紹介されたその他のコンセプト「ミドル・アップダウン・マネジメント・モデル」や「ハイパーテキスト型組織」といった言葉は定着していないように思えます。

さらに残念なのは、二項対立からの飛躍を掲げながらも、日本的/西欧的といった二項対立から出発している点と、ここでケースとしてあげられた日本企業のいくつかが、その後苦境に陥ってしまった点です。基本的には「甘えの構造」と同じような文脈で語られていると思います。
これからの複雑化した世界では、日本も西欧も他もひとつひとつ特殊なのだというグローバル視点が必要とされているのでしょう。